2022.12.06スタッフブログ 家康ゆかりの地 ~二俣と信康公~②
今回は二俣城址への道のりをご案内いたします
その前にプチ情報天竜区では毎年「信康まつり」という武者行列が行われます
徳川家康公の長男、岡崎次郎信康公の正室は織田信長公の娘である徳姫でした。2人は不仲で徳姫の陰謀により家康公から自害を命じられ、"父のために"と二俣城で自害しました。今でも信康公は二俣の清瀧寺に祀られています。信康公の無念をしのび、毎年10月に「信康まつり」を催しています。※コロナウィルス感染拡大により2021年は中止・2022年は関係者による祭事のみ。
では、二俣城址への道のりをご案内いたします
駐車場脇には趣のある公衆トイレがあります。
木々に囲まれ、夏は涼しく冬は風を凌いでくれそうです
北曲輪の横を上っていきます
※曲輪(くるわ)とは戦国時代の城の中の区画のことをいいます。
また、本丸、二の丸、三の丸の「丸」という用語は、江戸時代になってから曲輪と同義の言葉として
使われるようになりました。
少し上ると太鼓橋が目に入ってきました。お城に関係することかな?
「旭丘神社」
日清・日露戦争・満州事変・大東亜戦争と国事にたおれた戦没者慰霊の社です。
二俣城址 3号堀
本丸の天守台に近づいてみると自然の力は偉大です。夏は草木が生い茂り青々としていました。
天守台の上に城はありませんが、今川から徳川、徳川から武田へとなった直後に信玄公が病死し、徳川家康は再度二俣城奪還のために鳥羽山に陣をおき睨み合っていた、そんな舞台が目に浮かびます。
『国破れて山河あり』とありますが、人間が作ったものの儚さと雄大な自然のカラ、青い空には先人の思いが感じられる気がします。
二俣城址本丸からの眺望
二俣城址案内看板がありました。
「歴代二俣城の城主」記述には"二俣に城跡が3つある。南から鳥羽山城、二俣城、笹岡城がわずか2kmほどの距離にあり、二俣城と見えてもどの城を示すのか確定するのが難しい"とあります。
・・・なるほどよく考えられた造りなんですね
他の城址も気になります 次回ご案内といたしましょう
では。。。。スタッフ・O