2023.06.12スタッフブログ 家康ゆかりの地 ~番外編~
だいぶ時間が経ってしまいましたが、家康ゆかりの地・番外編です
森の家から車で約15分
「本田宗一郎ものづくり伝承館」の駐車場に来ました。
是非お立ち寄りください!
おっと、今回はゆかりの地なので、、、後ろを振り返ると、、、、
「清瀧寺」の石碑があります。
信康公菩提寺「清瀧寺」
徳川家康の嫡男として永禄2年(1559年)3月6日に今川支配の駿河で生誕。母瀬名(築山御前)は関口義広の娘で、今川義元の姪にあたる。信康は永禄10年(1567年)5月、信長の娘徳姫と結婚。ともに9歳。今川の血を引く築山御前と今川を滅ぼした織田の娘との確執と若夫婦不仲から、徳姫は天正7年(1579年)父信長への12箇条の手紙の中で、築山御前が武田と内通と書かれ、それが原因で信長は信康の切腹と築山御前の殺害を要求。同年9月15日信康は幽閉先の二俣城で切腹。介錯役の服部半蔵正成は何としても刀を向けられず、検視の天方山城守通綱が介錯したと伝えられる。享年21歳。
なんだか悲しくなってきますね。。。
左側に見える櫓は「井戸櫓」、江戸時代の旅のハンドブックの「秋葉山道中記」に珍しい井戸と紹介されているそうです。 戦では兵糧を断つ手段として井戸を破壊したり毒を混入させたりしたそうです。
二俣城では天竜川の水をくみ上げていたようですよ。三河物語には「水の手八岩にて、岸高き崖づくりにして、車をかけて水を汲む」とあります。蛇口をひねれば水が出るなんて、当時は思いもよらなかったことでしょうね。
青瀧寺の門前に到着
木々の緑と光、歴史を感じさせる門。
とっても素敵ですね
門をくぐると本堂がありました。その奥には21歳で自刃した信康公を祀った信康廟がありました。
自刃しなければならなかった信康公。
戦の時代に生き、ここでの生活はどんなだったのだろうかと少し胸が苦しくなりました。
今、私たちの平和な生活があるのも人々の歴史のおかげですね。
歴史の一部を見て、その場所で当時を照らし合わせながら、私達も未来に何を残せるのか考えなければいけないと感じました。
~スタッフ・O~